昭和歌謡研究家・堀井六郎氏はスポーツライターとしての顔もあります。とくに競馬は1970年から今日まで、名馬の名勝負を見つめ続けてきました。堀井氏が語る名馬伝説の連載がスタートします。
あの日のレースが甦る、想い出の名馬たち
若葉の緑が目にまぶしい新緑の季節がやってきました。都会のビルの谷間で仕事をしている私にとって、広々とした競馬場の青い空の下、緑の芝生の上を疾走するサラブレッドの姿を目にしたくなる季節でもあります。
学生時代に私が初めて馬券を買ってから早や半世紀がたちました。当時は、ちょうどハイセイコーという超人気馬が活躍し出した頃で、その1年前から競馬の楽しみを知った私をズブリと沼にはめこませたのもハイセイコーでした。
その後、テスコガビー、オグリキャップ、サイレンススズカ、ディープインパクト、ウォッカ、オルフェーブルといった人気と実力を兼ね備えた馬たちが次々に登場、私だけでなく、多くの競馬ファンの胸を躍らせてくれました。
オグリキャップにほれ込んだ当時、オグリの出身地である岐阜県の笠松競馬場を尋ねたり、朝いちばんの電車に乗って東京競馬場に向かい、ジャパンカップのレース直前調教を見に行ったことなどがなつかしく思い出されます。
馬たちの疾走の陰には血統を背景にしたドラマやライバルたちとの因縁があったりしますが、その頃の自分の姿・境遇や思い出を重ね合わせることもできるのです。
人生を競馬にたとえた寺山修司は、私に競馬の別の楽しみを与えてくれました。『馬敗れて草原あり』『旅路の果て』など多くの競馬エッセイを読みあさり、レースを物語に仕立て出走馬を出演者になぞる寺山劇場にのめり込んだのも、競馬という存在があったからでした。
この連載では、そんな私の記憶の中から心に残る馬たちを紹介していこうと思います。初回はG1レースで7勝を挙げた、キタサンブラックです。
苦節52年の名物馬主に初のG1タイトルを献上
日本の競馬がグレード制を導入したのが今から40年前の1984年でした。
著名芸能人馬主の中で最初にG1レースをものにしたのは、2007年の「ヴィクトリアマイル」に勝利したコイウタの馬主・前川清ですが、それ以前から長らく馬主として競馬の世界と接していたにもかかわらず、G1タイトルとは無縁だった大物歌手がいました。北島三郎(馬主名義・大野商事)です。
北島が演歌歌手としてデビューしたのは1962年、26歳のときです。馬主デビューが翌63年なので、すでに60年以上にわたり競馬界と仲睦まじい関係を築いていることになります。
最初の愛馬に名付けた馬名が「リュウ」。息子さんの名前だったそうですが、その後、北島の父から「愛馬がわかる馬名」を望まれ、本名の「大野」にちなんで「オオノ○○」という馬名へ移行、80年代後半からは北島三郎の「北」と「三」から、「キタサン○○」と命名するようになりました。
なかには持ち歌『緋牡丹博徒』からキタサンヒボタン(G3「ファンタジーステークス」の勝ち馬)と名付けられた馬もいました。
おそらく現在までに550頭以上の馬を保有していたことと思いますが、あいにく「キタサン○○」という馬名の馬は中央競馬の大舞台ではあまり走らないというイメージが長らく付いて回ります。されど、そのすべてを払拭してくれたのが「キタサンブラック」の登場でした。
キタサンブラックは500キロを超える堂々たる馬体で、2015年1月の新馬戦デビューから3連勝を飾ります。ただし、キタサン逆効果でしょうか、レース前の人気順は3戦を通じて3→9→5と、けっして高いものではありませんでした。
4戦目のクラシック第1弾・皐月賞は残念ながら3着と勝ちきれず、5戦目のダービーに至っては14着と惨敗。勝ったドゥラメンテからは10数馬身も離されての入着でした。
されど、ひと夏超えると馬自身の成長、および調教師・清水久詞のスパルタ教育もあってか、心身ともに力強さを身につけます。同年菊花賞で自身初のG1制覇をなしとげるとともに、苦節52年の馬主・北島に初めてのG1タイトルをもたらしたのです。
2年連続で年度代表馬に
キタサンブラックの父・ブラックタイドの血統は超一流だったのですが(ディープインパクトと同じ、父・サンデーサイレンス、母・ウインドインハーヘア)、母・シュガーハートが短距離血統だったため、当初キタサンブラックに長い距離はむずかしいと思われていました。しかし、ここが並の馬と違うところで、そのたくましさを増した精神力が長距離レースで発揮されます。
レースでは落ち着きを保ったまま騎手の手綱どおりに力走、距離に左右されることなく、その強さを見せつけたのです。
ダービー以後の2年間、G1(12レース)、G2(3レース)で9勝を挙げる活躍によって、2016、17年と2年連続の年度代表馬に選ばれます。年度代表馬をプロ野球に例えれば、セ・パ両リーグを通じての年間MVPにも値し、それを2年連続受賞したのですから、同馬の偉大さがおわかりになることでしょう。
活躍はこれに留まらず、種牡馬になってから最初の年に世に出したのがイクイノックス。これがなんと父親以上の孝行息子で、2023年に世界的なレースで勝利し、世界ナンバー1ホースの称号を獲得します。結果、同馬もまた2022、23年と2年連続の年度代表馬に選出。親子で2年連続の年度代表馬となったのは史上初めてのことでした。
キタサンブラックの引退から6年後、息子のイクイノックスが再び偉業を達成──「競馬は血統のスポーツ」とも称される確たる証と言えますね。競馬の楽しみと奥深さはこんなところにもあるのです。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
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